日本を代表する酒造地帯で有名な灘五郷(西郷・御影郷・魚崎郷・西宮郷・今津郷の五つの酒造地帯の総称)の一つ魚崎郷に浜福鶴はある。
灘五郷は、江戸時代最盛期200軒を超える酒造家がひしめき、当時世界最大100万余の人口を擁する大消費地江戸への出荷を競っていた。
酒造家なら誰でも「灘で酒造りをしたい」と願う時代であった。
しかし、現在は32軒の酒造家のみとなってしまった。
このことは、激変する時代変化の中で、浜福鶴が日本酒造りの伝統文化を守り、愛飲家のみなさまに、いつの時代も愛され続けた証である。
平成7年1月の阪神淡路大震災で旧酒蔵は全壊してしまうが、灘の地で酒を造り続けることにこだわり、今もなおこの地で酒を造り続けることは、現当主の意地でもあった。



名水が湧き出る場所には、ほとんど銘醸蔵が生まれている。
全国の酒造家が灘の地を求めた理由に、酒造りに適した良質の水が湧き出る地帯であったことが言える。
浜福鶴がある魚崎郷は、六甲山麓に降る雨が地中深く浸みこんで、山の滋養という濾過を経て、再び名水として湧き出るところ。近くを流れる住吉川は市街地にも拘わらず蛍が生息するほどの清流である。
山から大地へ、自然のフィルターを通過して澄みきった六甲山の伏流水は、硬水の特徴が活きた、コクがありキレのある味わい。
この水こそが、浜福鶴が目指す、まろやかでキレのある酒質に最適なのである。


酒米の王者「山田錦」は、兵庫県が主産地であり、篤農家の努力と、灘酒の発展とともに育った酒米である。
山田錦で醸す酒は、香味よく、ふくらみがあって、奥行きのある味わいになる。
日本酒の愛飲家なら、誰もが一度は口にしたことがある酒米であろう。
浜福鶴で醸される清酒の約80%が、この山田錦を使用している。岡山県産赤磐雄町と、すべて酒造好適米を使用し、選びぬかれた上質の米だけを丁寧に磨き上げ、高品質の酒造りに日々挑む。それが浜福鶴の酒造りの真髄なのだ。
※現在の浜福鶴銘醸で醸される清酒の平均精米歩合は約50%。


古来より、酒造りは「一麹(いちこうじ)」「二_(にもと)」「三造り(さんつくり)」の順で重要と云われている。
ところが、ある専門家によれば一麹であるはずの麹造りにも増して重要なのは「原料処理」であるという。
※ 原料処理とは、洗った米を水に浸漬し、蒸しあげるまでの工程をさす。
なぜなら、自然の産物である米は、その土地の気候、土壌、生産者等、とりまく環境の影響を受けることで、毎年まったく均一の品質を望むことは不可能に近い。さらに、酒質(吟醸、大吟醸等)に合わせて原料米は精米の歩合が異なってくるため、精米時間の違いから生じる含有水分率の差異により、米が水を吸う速度が違ってくる。
このように複雑な原料米から、目的とする酒質を得ようとするには極めて精度の高い厳密な限定吸水が必要となる。
限定吸水とは酒米に適度な水分を吸わせるために、浸漬時間を調整、制限することである。
時間が短いと充分に蒸されない蒸米ができ、時間が長いと醪の醗酵中に米が溶け過ぎて雑味の多い酒になってしまう。
杜氏はその年の米質をつぶさに分析し、蓄積した経験とデーターを駆使して、秒単位で浸漬時間を決断するのである。
この技術こそが、浜福鶴の吟醸酒造りを支えているのである。



江戸の時代より、手造りの日本酒を追求してきた浜福鶴。
平成に入り、「量より質」をさらに追求し、特定名称酒(本醸造以上)のみの製造を開始する。
平成8年の新工場設立を期に衛生的な環境を整え、全国でもまだ少なかった「無濾過生原酒」の商品化に成功した。
そうして生まれたのが純米吟醸「空蔵」。
それまで、灘の酒は新酒時に荒々しく硬いとされ、生酒には向かないという酒造業界の常識に屈することなく、全国に先駆けての商品化であった。
当時、浜福鶴も全国各地の銘醸蔵と拮抗しながら吟醸酒の研究に没頭した。おかげさまで全国新酒鑑評会において数々の金賞を受賞。
技術の向上に努めたこと。このことこそが、市販化に成功した礎となったのである。
思えば酒は古来より、ハレの日に欠かせないもの。日ごろ、仕事に励む人々が数少ない祝祭の場で口にしたものであった。
そんな伝統的な文化である日本酒の良質な部分をこれからも守り続ける。
そして、少量で高品質な酒造りだけを追求し続ける。
酒を「旨い」と感じた時、「造り手」のことを少しでも思い浮かべていただけたなら、私たちにとってはこの上ない喜びになるのである。




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